Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved.すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。, 鮮血で真っ赤に染まった店内の白い石畳。折り重なるように倒れている被害者のそばのテーブルに残された赤ワインのグラスと食べかけの料理。実行犯が撮影したとされる写真からは惨劇の凄まじさが伝わってくるが、一体、そこでは何が起こっていたのか。現場で取材したインド人ジャーナリストの証言などを元に、テロの一部始終を再現する。, バングラデシュの首都ダッカの北部。日本大使館やイタリア大使館、アメリカ大使館などが立ち並ぶ高級住宅街・グルシャン地区の一画、湖の近くに悲劇の舞台となったレストラン「ホーリー・アルティザン・ベーカリー」はある。, 〈このレストランはバングラデシュの首都でも外交的な場所であり、美しい芝生の庭もある。人口1億6000万人のこの国で唯一サワードウ(天然酵母)のパンとギリシャヨーグルトが手に入る場所だ〉(ワシントン・ポスト), 7月2日朝、重武装した治安部隊がレストランを取り囲んでいた。人質奪還作戦が実行に移され、治安部隊が店内に突入したのは午前7時40分。作戦が終了したのは8時30分だった。結果、テロリスト7人のうち6人が殺害され、1人を逮捕。日本人1人を含む13人の人質が救出されたが、日本人7人を含む20人の遺体が残された現場は血の海になっていた――。, テロリストがメインゲートから店内に侵入したのは、治安部隊の突入作戦が終了する約12時間前、7月1日午後8時45分頃である。店にいたのは日本人のグループの他、イタリア人のグループや、娘の13歳の誕生日を祝うために訪れていたバングラデシュ人の家族など。客と従業員を合わせて50人ほどが店内にいた。, 店に侵入する際に彼らが発したそんな叫び声が号砲となり、凄惨なテロがスタートしたのである。人質になったものの後に無事に救出された店の従業員、警備員などに取材したインド人ジャーナリストのシャイク・ラーマン氏が語る。, 「警備員によると、テロリストはマイクロバスで店まで来たそうです。しかも、そのマイクロバスは1台の車の後を追うようにして店の前までやって来て、その車には日本人が乗っていた、と話しています」, 店の従業員がラーマン氏に証言したところによると、テロが起こる前、店の1階、メインホールの外にあるテラス席に日本人のグループがいて、別の日本人グループが到着するのを待っていたという。そして、両グループが合流した直後に事件が起こったというのだ。, 「店に侵入した数分後、2人のテロリストはいきなりイタリア人に向けて発砲を始めた。この時の銃撃でイタリア人グループの数人か、全員が死んだと思われる。その後、数人のテロリストが日本人グループに対して、メインホールに入るよう命じた。日本人は全員憔悴していた」(同), メインホールに入る際、日本人の1人が、「私は日本人だ。撃たないでくれ」とテロリストに言ったが、, 「メインホールの椅子に座らされた日本人は皆恐怖で震えていた。全員、頭を下げていた。メインホールの様子は悲惨だった」, 「テロリストはすでに死んでいると分かっている人にナイフで切りつけていた。あるイタリア人の首を切ろうとしていたが、ナイフの鋭さが足らず、首を落とすことはできなかった」, イタリア人の遺体があり、日本人グループが座っている場所から少し離れたところに、10人ほどのバングラデシュ人が集められていた。テロリストは異教徒を見分けるためか、客の一部にコーランの暗誦を命じ、「バングラデシュ人に危害を加えるつもりはない」と話した。, 「店の従業員のうち何人かは2階のトイレにこもっていたといいますが、テロリストが店に侵入してから20分が経った頃、1階から20発ほどの銃声が聞こえた。その2、3分の間に日本人7人が一気に殺されたようです」(同), 「家のベランダから、3人の外国人が銃で撃たれた後にナイフで首を掻っ切られるのを見た。首からは血が噴き出ていた。殺している彼らは笑顔を浮かべていた。『バチャオ!』(ベンガル語で助けての意)とか、『ヘルプ!』って大きな声が聞こえてきた」, テロリストたちは店に侵入してから20~30分程度で殺戮を終えていた。ならば、治安部隊が突入するまでの間、彼らは店内で何をしていたのか。, 「1日から2日に日付が変わる頃、テロリストはシェフにエビと魚で料理を作って欲しいと頼んだ。シェフや従業員は彼らと一緒に食事をした。彼らは、朝になれば殉教者になれる、ジハードを遂行したので天国に行ける、と話していた。治安部隊が店に突入した際、彼らは死ぬ覚悟が出来ていたので撃ち返さなかった」(先のラーマン氏), 殺戮行為こそが天国への切符。そう信じ込んでいる男たちに対しては、どのような懇願も意味をなさなかったに違いない。, 「特集 彼の地で汗をかいた邦人7人の悲劇 『私は日本人だ』を一顧だにしない『バングラ・テロ』」より, 「韓国」最悪の性犯罪者の“過保護出所”と、文在寅による“税金浪費”に国民の不満爆発, 日本人が陥る中東問題のワナ――【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛〈著者インタビュー〉池内恵, デイリー新潮とは? | 広告掲載について | お問い合わせ | 著作権・リンクについてご購入について | 免責事項 | プライバシーポリシー | 運営:株式会社新潮社, Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. トジョウエンジン発行人。「若者がもっと途上国にワクワクする社会」を目指して、途上国のイメージを豊かにするウェブマガジンを立ち上げた。海外旅行が大好きで、途上国の絶景スポットや旅行テクニックを中心に紹介している。, e-Educationがお送りするWebマガジンです。途上国で奮闘する日本人のストーリー、社会を変えるグッド・アイデアを毎日お届けします。, RSS登録するかFacebookページを「いいね!」すると、ブログの更新情報を簡単に確認できます。, ダッカのテロ事件が発生してから3日後の7月4日。多くの警察が見守る中、バングラデシュの国際空港の出国ゲートを抜ける直前、少しだけ足が止まりました。, まだバングラデシュでやることがあるんじゃないのか。今帰ってしまったら、二度と戻ってこれなくなるんじゃないか。, 社会人になって時の流れはどんどん早くなり、気がつけば一年が過ぎていく中、この二年間はこれまでの人生で最も長く感じた時間でした。, あれから2年。私がバングラデシュに戻ってきた理由と、挑戦する中で見つけた希望をお伝えします。, みなさん、こんにちは。特例認定NPO法人 e-Education代表の三輪です。私たちは「最高の授業を世界の果てまで届ける」というミッションを掲げ、途上国で教育支援をしています。, e-Educationの始まりは、2010年に訪れたバングラデシュ。当時まだ大学生だった私は株式会社マザーハウスのインターンとして現地の工場で働いていました。, その時、バングラデシュで出会った大学生が税所篤快。彼は貧しい人たちのための銀行「グラミン銀行」のインターンであり、友人の紹介で彼に会いにいきました。, 出会って数分で、彼は熱い想いとユニークなアイデアを共有してくれました。貧しくて塾に行けない農村部の高校生たちに、都市部の有名な予備校講師の授業を、映像にして届けることで、彼らの大学受験を応援する。, 元東進生だった私にとって、彼のアイデアは革命的でした。ぜひ協力させて欲しいと頼み込み、翌日一緒にダッカ大学で聞き込み調査を開始しました。これがe-Educationの始まりです。, そこからは激動の毎日。有名な予備校講師を探し回り、映像授業の撮影を開始。完成した動画は寄付でいただいたパソコンと一緒に、毎晩遅くまで受験勉強を続ける貧しい高校生たちの元へ届けました。, そして半年後の大学受験で小さな奇跡が起きます。生徒の一人が、バングラデシュNo.1国立大学であるダッカ大学に合格し、私たちの活動は「途上国版ドラゴン桜」と呼ばれるようになりました。, e-Educationの活動は世界各地へ広がり、バングラデシュでは2015年までに150人以上の貧しい高校生たちが、学費が非常に低い難関国立大学へ進学し、バングラデシュの教育大臣からも高い評価をいただきました。, 大学に進学した生徒たちや、その親族から感謝の言葉をもらうたびに、私たちは少しずつ自分たちの活動に誇りを持てるようになりました。, 2016年7月1日の夜9時、バングラデシュの仲間たちから突然電話がありました。彼らは震えた声で話を続けます。, 私の宿泊先からそう遠くないレストランでテロ事件があったこと。犯人たちは爆弾や銃を持っており人質を取って立てこもったこと。外国人を狙った事件である可能性が高く、絶対ホテルから外に出るべきではないこと。, 衝撃の出来事でした。私は彼らからのアドバイスと日本大使館の指示に従い、翌日も翌々日もホテルから出ませんでした。部屋のカーテンを閉め、暗闇の中で時間が流れるのを待ちました。, ニュースを見るたびに不安な気持ちは増えていくばかり。日本人が巻き込まれてしまったこと、その中には知り合いがいたこと。そして、犯人が優秀な若者だったことを知った時、心が壊れる音がしました。, なぜ一番近い場所で支援していたはずの私たちが彼らの悩みを受け止めてあげられなかったのか。自分たちの力がもっとあれば、防げた事件だったのではないか。私たちの活動は、間違っていたんじゃないか。, バングラデシュから日本へ無事に帰国しても悩みは消えず、悔しさや無力感は日に日に増していき、気がつけば鬱病になり、仕事ができない状態になりました。, 体調が少しだけ回復して職場に戻った2016年の8月。まだ思うように身体が動かず、これ以上みんなに迷惑をかけたくなく、代表を降りようとしていたところ、職員全員から「1ヶ月休職命令」を受けました。, 1ヶ月という長いお休みをもらって、自分の深い部分と向き合った結果、バングラデシュを拠点にするという決断をすることができました。休みを作ってくれ、私の背中を押してくれたみんなには本当に感謝しかありません。, 背中を押してくれたe-Educationの職員たち(左から薄井、吉川、三輪、中野、古波津), 「バングラデシュの若者の可能性を信じたい。私のことを信じてくれる仲間たちの応援に応えたい」, 想いが固まると自然と力が湧いて来て、福岡で開催されたイベントICC カタパルト・グランプリでは、かつてないほど気持ちを込めてプレゼンすることができました。よかったらぜひご覧いただけると幸いです。, 大絶賛された感動のプレゼンテーション「e-Education」 (ICC FUKUOKA 2017 カタパルト・グランプリ) – YouTube, ICCでお会いした方々、e-Educationの活動を支えてくれた方々から背中を教えてもらい、私は2017年5月からバングラデシュを拠点に活動することを決意しました。, テロ事件以降ずっと続くこの悩みの答えを知りたくて、私は全国各地の大学を直接見て回りました。アメリカの経済誌『Forbes』が選ぶ30 Under 30 2016 Asia(アジアを牽引する若手社会起業家30人)に選ばれたこともあって、大学で講義を持たせてもらえるようにもなりました。, 20以上の大学を訪ね、出会った学生は1000人以上。その中にはテロ事件を起こした若者の出身大学もありましたが、絶望なんかありません。希望に溢れていました。, ここで一人、紹介したい若者がいます。e-Educationの元生徒であり、大学院生となったシャフィという青年です。, 高校生の頃に父親を亡くした彼は、大学に通いながらアルバイトをして家族に仕送りをする生活を続けていました。そんな彼を応援したくてe-Educationから奨学金を送ろうとすると、「無料では受け取れません」と言って、彼は地元の高校生たちの受験勉強をサポートしてくれるようになりました。, これが私たちの手がける「奨学金&インターンシップ制度」の原型であり、大学生になったe-Educationの元生徒たちが、奨学金を受け取りながら、地元の中高生の学習をサポートするプログラムが始まりました。, そして2017年9月。ロヒンギャ難民問題(隣国ミャンマーから70万人以上の人たちがバングラデシュへ避難してきました)を目の当たりにし、シャフィたちは動き出します。, e-Educationの元生徒たちが大学を超えて連携しあい、ロヒンギャ難民支援プロジェクトが立ち上がりました。彼らの勇気ある行動は、私を含めたくさんの人たちを巻き込み、最終的には2万人を超える人たちに食料を届ける大きな活動となりました。, この活動の様子は2018年1月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『明日世界が終わるとしても』でも紹介いただきました。現在NHKのWEBサイトでダイジェスト版をご覧いただくことができますので、良かったらぜひご覧ください。, 若者たちの力が テロではなく未来へ向かうように― | どーがレージ | NHKオンライン, 「ああ、この国を変える主人公ってこんなにもたくさんいるのかと。自分の頑張ってきた意味、テロ事件からずっと考えてきた意味って、やっぱりここにあったのかな」, NHKの取材を通じて、バングラデシュに戻ってきた理由、挑戦する理由を改めて考え直しましたが、その答えはe-Educationの元生徒たちが教えてくれました。, 彼らこそバングラデシュの希望であり、明日世界が終わるとしても、私は彼らのような若者の可能性を開いていきたいです。, 先月6月、e-Educationの映像授業を受講しにきた新しい生徒たちに向けて、シャフィをはじめとした大学生・大学院たちから激励のメッセージを送ってもらいました。, 地元から難関国立大学に進学したロールモデルとなる先輩たちに出会い、目の色を輝かせる高校生たち。No.1国立大学に進学した元生徒たち3人からのメッセージが終わり、最後にシャフィの順番がやってきました。, 「最初に断っておくと、私はダッカ大学生ではありません。ダッカ大学の試験には合格できず、私はジョゴンナ大学(難関国立大学の一つ)に進学しました。だから、私は受験に失敗したと言えるかもしれません」, 「でも、これからの人生は入試の結果で決まるわけではありません。失敗は私の財産であり、受験勉強に打ち込んだ毎日が今の私の支えになっています」, 彼は自身が非常に貧しい家庭で育ったこと、そのためにいじめにあったこと、父親が高校生の時に亡くなったこと、それでも大学進学を諦めなかったことを伝え、最後にこう締めくくりました。, 「私は自分が貧しく、弱者であることを誇りに思います。弱い人たちの痛みや苦しさがわかるからこそ、私は未来を、社会を、この手で変えることができる、そう信じています」, シャフィのスピーチを聴きながら、バングラデシュに帰ってきてよかったと心から思いました。, テロ事件から2年。まだ完全に治安が落ち着いたとはいえず、バングラデシュ全土が危険度レベル2の状態(出典:外務省の海外安全ホームページ)であり、テロに対する特別警戒は「継続中」です。, 今年はさらに来年2019年1月〜2月に控える国政選挙の影響もあって、外務省の定める危険度がすぐに下がるとは思えません。, ただ、それでも私がバングラデシュで見ているものは若い「希望」であり、この希望をバングラデシュの果てまで届けられるよう、今できることを一つ一つ積み重ねていこうと思います。, 岡村誠さん、酒井夕子さん、下平瑠衣さん、黒崎信博さん、田中宏さん、橋本秀樹さん、小笠原公洋さん。, 男性も女性もいらっしゃいました。20代の方から80代の方までいらっしゃいました。そして全員が国際協力の分野で活躍され、バングラデシュの発展に貢献されている方でした。, そんな彼らのことを、30秒でもいいので、ぜひお一人お一人の名前に触れながら、想っていただければ幸いです。, 私は、昨年からバングラデシュを拠点に活動し、この記事でも紹介したバングラデシュの「希望」を日本の方々にお届けしようと思って発信してきましたが、まだまだ力が足りません。, 個人的な印象ですが、今もバングラデシュのイメージは悪い状態が続いており、今日の報道でまたイメージが悪くなるかもしれません。, それでも、私は私がこの目で見てきたバングラデシュの希望を信じたく、ぜひ皆さんの力を貸していただきたいです。, この記事や、記事中の動画をご覧いただき、もしバングラデシュのイメージが少しでも明るくなったのであれば、ぜひFacebookやTwitterなどSNSでシェアいただけないでしょうか?, 皆さんの言葉には力があります。それは日本国内のイメージを変えるだけでなく、バングラデシュで挑戦を続ける若者たちの支えにもなるんです。, 皆さんからのコメントは、私が現地の若者たちに一つ一つお届けしますので、良かったらぜひ皆さんの「声」をください。, バングラデシュには全国64の県があり、その大半がまだ農村地帯です。そんな地方に希望の光を灯したい。シャフィのようなロールモデルをもっともっと増やし、全国の中学生や高校生たちが希望を持って未来を切り開いていく流れを一秒でも早く作りたい。, そう想って今、記事中でも紹介した奨学金制度の拡充を進めており、2020年までに100人の大学生の挑戦を、想いある奨学金の力で応援しようと計画しています。, 1人あたりの奨学金は年間約7万円。これだけあれば、夜通しでアルバイトをしながら大学に行く必要はなくなり、地元や他の地方の高校生たちをサポートする挑戦もできるようになります。, 毎月1,000円寄付してくださる方が6人いらっしゃれば、もしくは毎月3,000円寄付してくださる方が2人いらっしゃれば、シャフィのような大学生たちの挑戦を応援することができます。, 想いの詰まったお金が彼らに届くことで、日本とバングラデシュの結びつきが強くなり、それがテロのない未来に繋がると心から信じています。, もし共感いただける方は、ぜひ以下のページから私たちe-Educationの活動を応援をよろしくお願いいたします。, 先日、年に一度のe-Education活動報告会’18に登壇したところ、昔からお世話になったいている方からこんな嬉しい言葉をいただきました。, ただ、あまり自覚がなかったので、改めてバングラデシュに拠点を移してから撮った写真を振り返ってみると、なるほど、確かに楽しそうに笑う写真がいっぱいありました。, バングラデシュでの生活はもちろん上手くいくことばかりではありません。というか、ほとんど上手くいきません。, それでも、こうやって笑うことができるのは、バングラデシュのチームメンバー、その先にいる生徒たち、いつも私を支えてくれるe-Educationの仲間たち、そして支援者みなさんのおかげです。, 全ての人たちに心から感謝しつつ、バングラデシュの仲間たちと一緒に、できることを一つ一つ積み重ねていきます。, バングラデシュ・ミャンマー・日本の若者たちが共に3カ国を巡る実践教育プログラム「LAMP〜日本編〜」の6日間をご紹介, 3カ国の若者が一緒に旅をして学び合う実践型教育プログラム「LAMP」が始まります!, トジョウエンジンは、e-Educationプロジェクトがお送りするWebマガジンです。途上国の魅力や、社会を変えるグッドアイデアを毎日発信しています。 日本人に直接被害が出たのは、 2016年7月にバングラデシュの首都ダッカで日本人7人を含む、20人以上がレストランで殺害された事件で、ラマダン最後の金曜の夜に起きたテロでした。 日本人 ワイ おめー日本人じゃねのかよおいwww どこの密入国者なんだよおいwww; 53: 名無し: 2016-07-03 15:26:25 ID: YzJjOTc2 そもそもバングラデシュ治安クソやから。こんな結果容易に想像できんると違うの?若干の自己責任はあると思うわ。 認識させられた事件だ。 当時現場近くにいた邦人は、 バングラデシュ人質事件の生き残りとして. お金持ちの人だけ住めると言われているモナコ公国。世界で2番目に小さい国でありながら、治安のよさも美観も美食も何もかもが手に入る国。モナコの観光名所や知られざるセレブ事情について調べてみま … このテロにより日本人1名を含む死者は183人、負傷者は約300人が犠牲となった。 「デカン・ムジャヒディン」と名乗る組織が電子メールで犯行声明を出したとの地元の一部報道機関が報道。 すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。, 「池江璃花子」入会の「全祉協」が崩壊寸前 消費者庁が注意喚起、施設入居者は追い出され, 「人を利用する」一家が皇室と関わりを持つ疑問 「押し通した方が勝ち」という風潮の是非, 佳子さまのお相手に「東京農大出身の男性」が浮上 小室圭さんとはずいぶん違うその素顔, 「日本との交流がなくても問題ない」と言った文在寅の失敗 韓国で「反日」が正義である理由, 小林麻耶さん、夫婦ともに家族と“断絶”状態 親族「両親を含め誰も連絡が取れない…」, 「小林麻耶」が番組降板前に起こした”事件” 収録中に豹変、「まるでエクソシスト」の声も, 英国で「末席」を用意された天皇陛下を「最前列」に呼び寄せた人物とは? 天皇陛下が尊敬される理由, 木嶋佳苗、座間9人殺害事件の犯人が住んでいた間取りの不思議な共通点 事故物件芸人とイヤミス作家が語る、ヤバい部屋, 非行少年たちはなぜケーキを3等分にできないのか “認知機能”に問題を抱えた子どもたちの実態, 1960年代ヒーローものの集大成『電人アロー』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第90回, ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧は. バングラデシュのテロで確信した「憲法9条は日本人を守ってくれない」と。改憲して武力を持つべきだと思う。 [無断転載禁止]©2ch.net [725898445] ... 生き残りたかったら自らの判断力と行動力を鍛えなさい 【バングラテロ】日本人唯一の生存者 渡辺玉興 [無断転載禁止]©2ch.net [609535295] ... バングラデシュの首都ダッカの飲食店襲撃事件で、 救出されたのは東京都内の建設コンサルタント会社社員、渡辺玉興さんと分かった。勤務先が2日、明らかにした。 バングラテロ、「イスラム国」が犯行声明 【カイロ=溝田拓士】日本人7人が死亡したバングラデシュの首都ダッカでのテロ事件について、 イスラム過激派組織「イスラム国」は2日、犯行を認める声明をインターネット上で公開した。 精神的に苦しんだ。 はじめまして、ゆーせい(新嶋悠成)と申します。現在は、物販ビジネスとwebマーケティングを中心とする事業を元に、海外進出、モバイル店舗経営、フランチャイズ展開など、多方面で事業を展開する会社を運営しています。おかげさまで、年商10桁、利益9 万世一系が断たれたら喜ぶのは、中国共産党とWASPかな?あ、バチカンも? このブログはリンク・転載・引用・模倣・拡散フリーです。なんでも好きにしてね♡ ただし元画像の著作権は知りません バングラデシュの首都ダッカで2016年に日本人7人を含む22人が死亡した飲食店襲 撃テロ事件で、事件の実行犯らをイスラム過激派に勧誘した疑いがあるバングラ出身で日本 国籍の立命館大元准教授が、イラクで拘束されていると報じられている。 2015年を振り返ると、「isilによる日本人拘束事件」や、フランスで起きた年始の「 シャルリー・エブド襲撃事件」から11月の「パリ同時多発テロ」など、is(イスラム国)に直接・間接に関わる悍ましいテロ事件が思い出される。 胸を痛めたり、恐怖に震えた方もいるだろう。 日本人1人を含む13人の人質が救出されたが、日本人7人を含む20人の遺体が残された現場は血の海になっていた――。 テロリストがメインゲートから店内に侵入したのは、治安部隊の突入作戦が終了する約12時間前、7月1日午後8時45分頃である。 日本人7人を含む20人が犠牲になったバングラデシュ・ダッカで起きたレストラン襲撃事件。あの日、店内では何が起きていたのでしょうか。脱出した人々の地元メディアへの証言などから、犯行の状況が徐々に明らかになってきました。地元紙などの報道から… と言っても、日本国民は基本的に政治に興味を持てないように戦後アメリカに”プログラム”されていますし、グローバル化が良いのか悪いのかも考えていないか、時代の流れだと思っている日本国民が大半だと思います。 プログラムされた内容は以下の記事にあります。 日本人7人犠牲の飲食店襲撃テロ 日本人7人が犠牲となったバングラデシュ飲食店襲撃テロ後、バングラデシュ警察がイスラム過激派組織に 関与したとして公開捜査を始めた容疑者の一人が、立命館大(京都市)のバングラデシュ出身の元准教授だった けっきょくこのテロは犯人も目的も、よくわかってないのかな? ※パキスタンとバングラデシュ 戦前はインドもパキスタンも英領インドだったんだけど、 1947年にインドがイギリスから独立するさいに、 ヒンドゥー教徒とイスラム教の仲が悪くなったので ダッカのテロ事件が発生してから3日後の7月4日。多くの警察が見守る中、バングラデシュの国際空港の出国ゲートを抜ける直前、少しだけ足が止まりました。 「本当に、日本に帰っていいのだろうか?」 まだバングラデシュでやることがあるんじゃないのか。 ホーム; mixiユーザー(id:8712738) mixiユーザーの日記一覧; 安倍晋三の禁じられた遊びで日本が、日本人がテロ対象となったを地球儀外交を仕切った売国奴、谷内正太郎元外務次官は何故沈黙なの? その大きさは人々を非常に驚かせ、その主に関して「クマ」や「太古の猿人の生き残り」など様々な説が検討された。 それから200年以上経った今でも、「ビッグフット」はアメリカやカナダで目撃され続 … 最新エントリーはRSSフィードやTwitter、Facebookでチェックできます。, 世界の国の数は何カ国?意外と知らない、国連加盟国数と日本政府承認国家数の違い(2017年版), 世界地図にもう騙されない!各国の本当の大きさを比較できるWEBサイト『The True Size Of …』, 途上国の電気不足を解消! 重力で発光、充電できるランプ「GravityLight」, "脚"を失うことで救える命がある! そう、風力地雷除去装置「Mine Kafon」の"脚"ならば, テロ事件から2年。生き残った私が、バングラデシュに戻った理由と、挑戦する中で見つけた希望(e-Education 三輪 開人), 30 Under 30 2016 Asia(アジアを牽引する若手社会起業家30人), 途上国の「ものづくり」をファッションブランドとNGOが語る!ファクトリエ×e-Educationイベントレポート. 「政治」に関するページです。バングラデシュテロ、安倍政府とjicaによる未必の故意の犯罪!日本人7人の死!バングラデシュでisテロが多発していたのにもかかわらず!安倍自民党も米国戦争屋の要求で日本人を米軍傭兵として差し出そうとしている! のページ バングラデシュ人質事件でasahiが報道した通り、 日本人7名が犠牲になった。 日本人だから安心ということはないと.